廣瀬清市瑞陵高校奨学事業について 2006.10.31廣瀬医院閉院の日に撮影(西郷) 平成17年6月26日の中日新聞紙面でも紹介されましたが、瑞陵高校開校以来50余年にわたって校医を務められた廣瀬清市先生(瑞陵高校の前身の愛知県立第五中学校24回卒業 右写真)が、瑞陵高校の生徒のために使ってほしいと多額の寄付の申し出をされました。それを受けまして瑞陵高校同窓会のメンバーを中心に廣瀬清市瑞陵高校奨学事業委員会を組織し、平成17年度より各種の事業を開始いたしました。 第1回事業のオーストラリア派遣には115名の生徒が応募し、18名の生徒を派遣いたしました。さらに、第2回事業として、平成17年度生徒研究助成事業を行い、生徒の自主的な研究や大学等で行われる研修会への参加費等の補助、「愛・地球博」の入場券の配布などを行いました。 出資者である廣瀬清市先生は、平成19年2月25日にご逝去されましたが、先生の遺産の一部と遺志を廣瀬清市瑞陵高校奨学事業委員会が引き継いで事業を継続し、平成22年4月現在までに、生徒海外派遣と研究助成を含めて第16回の事業を実施いたしました。しかしながら、廣瀬先生の遺産も無限ではなく、その他の事情もあり、第17回事業フランス生徒派遣(平成22年7月)、第18回事業ニュージーランド生徒派遣(平成22年12月)をもって、ひとまず終了することになりました。 廣瀬清市瑞陵高校奨学事業委員会 委員長 中神 靖 |
廣瀬清市先生の略歴
大正6年 (1917) | 4月 | 4月5日生まれ |
昭和10年(1935) | 3月 | 愛知県熱田中学校(五中、現瑞陵高校)卒 |
昭和17年(1942) | 9月 | 日本医科大学卒 |
10月 | 兵役 | |
昭和21年(1946) | 4月 | 中国より復員 正七位陸軍軍医大尉 |
昭和22年(1947) | 4月 | 廣瀬医院開院(名古屋市瑞穂区村上町) |
愛知県立瑞陵高等学校校医 | ||
昭和43年(1968) | 8月 | 医学博士号受領 |
平成12年(2000) | 11月 | 勲五等瑞宝章受章 |
平成15年(2003) | 12月 | 「師長ロマン-琵琶の名器を尋ねて25年-」を出版 |
平成17年(2005) | 4月 | 廣瀬清市瑞陵高校奨学事業に出資 |
平成18年(2006) | 10月 | 廣瀬医院閉院 |
平成19年(2007) | 2月 | 2月25日 永眠 |
廣瀬清市瑞陵高校奨学事業開始の経緯
瑞陵高校の開設以来50年の永きにわたって校医を務められた廣瀬清市先生(五中24回卒)は、日頃から瑞陵高校の生徒のために寄付をしたいと言われていましたが、具体的な話となってきたのは、平成9年(1997年)の五中―瑞陵九十周年の祝賀パーティーの時だと思います。廣瀬先生は、「自分には子供がなく、瑞陵生はみんな私の子供のようなものだ。資産の一部を瑞陵生のために使ってほしい。」と言われ、当時の近藤校長も大変ありがたいことだと歓迎の意を表されましたが、三億円ほどという額の大きさに小手先の対応はできず、現実的に受け入れができるかどうか検討することになりました。教育委員会に問い合わせたところ、「瑞陵高校は県立高校なので、学校として寄付を受けることができない。県への寄付なら受け入れる。」とのことでした。県への寄付となれば「瑞陵高校の生徒のため」とはならず、廣瀬先生の意向と異なってしまいます。学校として寄付を受け入れることはできないことになりました。そこで、今度は同窓会で受け入れて財団を作ったらどうかという話になりました。
同窓会が寄付を受け入れた場合、課税対象となって多額の贈与税が課せられるのではないかという話が出ました。同窓生の税理士に調べてもらったところ、「このようなことは前例がなく、はっきりしないが、課税対象となる可能性が高い」とのことで、廣瀬先生の「全額を瑞陵生のために」という意向に合わなくなってしまいます。廣瀬先生は「何とか良い方法を考えよ」と言われるので、瑞陵会の中神靖前会長が中心となって、県教委や文部科学省など各方面に問い合わせや働きかけが始まりました。学校関係の財団は教育委員会の管轄で、教育委員会はこのような財団の認可はしない方針であるということも判明いたしました。文部科学省に問い合わせたところ、他府県でいくつかの例があるが財団の認可は都道府県の教育委員会が行っているので国は関与していないとのことでした。また、信託銀行が扱っている公益信託制度や名古屋市の財団を通して行う方法も検討されましたが、「すべて瑞陵生へ」とはなりません。同窓の県会議員の方にも調べていただきましたが、課税がなされない良い受け入れ方法は見つからぬまま、数年が経過してしまいました。この間に廣瀬先生ご自身も地元の県会議員や税理士に相談したりして、課税なしの「寄付」や「財団」は難しいということがはっきりしてきました。廣瀬先生も「私も高齢なので早く良い方法を見つけてほしい」と言われるようになりました。平成15年(2003年)12月には、廣瀬先生は瑞陵高校に出向かれ、当時の水谷校長に改めて正式な寄付の申し出をなされました。しかし、良策は見あたらず、次の伊神校長の代に持ち越されました。
平成16年4月、瑞陵高校出身で初めての校長として15回卒の伊神勝彦氏が赴任され、永年の懸案であるこの間題を解決すべく、さらに検討がなされました。この頃になると、廣瀬先生も「多少の課税はやむを得ない」と言われるようになりました。そこで、「寄付」にこだわらず、廣瀬先生に直接資金を提供していただき瑞陵生を対象とした海外派遣事業などを行うことにし、中神靖瑞陵会前会長を委員長とする「廣瀬清市瑞陵高校奨学事業委員会」が設置されました。委員会の顧問として、名古屋市教育委員会委員長の青木一氏、名古屋市税理士会顧問の後藤好弘氏、愛知県教育委員会学習教育部長の寺田志郎氏、元名古屋市教育委員会教育長の鳥居大氏、2005年日本国際博覧会協会事務総長の中村利雄氏、名古屋雁道郵便局長・名古屋市南部地区特定郵便局長会会長の濱田尭氏、愛知県企業庁長の福間克彦氏など各方面の方々にお願いいたしました。(肩書きは当時のもの)
廣瀬先生は、「優秀な生徒を、さらに伸ばす」ことを企画するようにと言われ、生徒の海外派遣やノーベル賞級の研究者による講演会などが、事業の候補になりました。そして、第一回目の事業として、オーストラリアへの生徒派遣を企画し、平成17年7月に、18名の生徒を8日間の日程で送り出しました。また、第二回事業として、生徒の研究を支援する研究助成を行いました。この年には、長久手会場を中心に国際博覧会(いわゆる万博)「愛・地球博」が開催されており、国際的な見聞を広める目的で希望者に万博の入場券を提供するという事業も研究助成事業に含めて行いました。海外派遣では、「優秀な生徒」を選考するために、学校の成績ではなく、この派遣をどのように活かしたいかという内容の作文によって選考することにしました。第一回事業のオーストラリア生徒海外派遣の保護者向け説明会が、6月に国際ホテルで行われました。この様子は中日新聞に写真入りの記事として掲載され、多方面から反響がありました。廣瀬先生も新聞に掲載された写真をとても気に入っておられ、廣瀬医院に飾っておられました。
第一回の海外派遣は、五中の卒業生で世界的にも名の通った外交官・杉原千畝氏の縁の地であるリトアニアをと考えており、前年の10月にはリトアニア共和国の在日大使のクジス閣下にもお目にかかり、アドバイスをいただいておりました。しかし、この年は愛知万博が開催され、リトアニアもパビリオンを出展するとのことでしたので、リトアニア館のスタッフと交流を持ち、そのアドバイスに基づいて計画した方がよいということから、翌年に持ち越されました。実際、「愛・地球博」のリトアニア館のスタッフと瑞陵会の役員との会食がおこなわれたり、リトアニア共和国のナショナルデーの内輪のレセプションに参加したり、さらに、杉原千畝氏関連のイベントにも参加して、リトアニア館のスタッフからリトアニア派遣に関するアドバイスをいただき参考といたしました。
海外派遣の派遣先からは、派遣生徒がそれぞれ、廣瀬先生宛に絵はがきで感想などを送り、廣瀬先生は生徒から届いた絵はがきをご覧になって派遣の成果を喜んでおられました。また、帰国後は、各回ごとに生徒の感想や記録をまとめた報告書を作成し、廣瀬先生と派遣生徒が昼食をとりながら、それぞれの生徒が直接廣瀬先生に成果を報告する会も行いました。
廣瀬先生からの寄付の話に、職員から「校舎や設備にまわしてほしい」という意見が、同窓会からは「五中-瑞陵百周年の事業に協力してほしい」という話が出されました。しかし、廣瀬先生は、同窓会ではなく瑞陵の生徒のために使ってほしいとのご意向であり、「ものに使うのではなく、人に使うように」と言われていました。生徒派遣の説明会等では、遣唐使を例に挙げ、海外で見聞したことを帰国後に活かすようにと言われました。さらに、生徒の派遣が一過性の単なる幸運な出来事に終わることなく、保護者の方々にも生徒の体験を活かすように支援してもらいたいと言われていました。
廣瀬先生は2005年の4月に米寿の祝いの会を開かれ、壱岐・対馬、石垣島など日本各地を元気に旅行されていましたが、念願であった中国の西安旅行の目前に倒れられ、2006年10月限りで廣瀬医院を閉院されました。その後、回復され、お元気でお過ごしでしたが、第6回事業であるドイツ派遣の生徒との昼食会(2007年2月28日)を三日後にひかえた25日に急に亡くなられました。通夜、葬儀には派遣生徒のほか多くの瑞陵生および瑞陵高校関係者が出席しました。廣瀬先生のご冥福を心より願い、今後も、廣瀬先生の遺志を受け継いで、この事業が継続されることを心より願っております。
西郷 孝(瑞陵高校元教諭 瑞陵27回卒)
『廣瀬清市先生と瑞陵高校奨学事業』刊行にあたって
平成17年度に廣瀬清市瑞陵高校奨学事業委員会が設立され、生徒海外派遣と研究助成の事業が行われてまいりました。派遣報告書を中学校へ送付したこともあり、多くの学校から高く評価され、「この事業があるから瑞陵高校に入学した」という生徒が出るまでとなりました。海外派遣の説明会と出発式では、廣瀬先生がこの事業の趣旨などを派遣生徒と保護者に直接話されていました。平成19年に廣瀬先生が亡くなってからは、廣瀬先生を直接知る生徒はいなくなり、廣瀬先生はもとより奨学事業開始の経緯やその趣旨について正確に知る人は減ってまいりました。そこで、平成20年4月に廣瀬先生と奨学事業に関する文集を作成し、派遣生徒や瑞陵高校の職員の皆様に目を通していただきたいと考えました。原稿依頼を始めると多くの方々から原稿が寄せられ、予想を上回る227頁のものとなりました。廣瀬先生のお人柄やお考え、奨学事業の趣旨に加えて、派遣生徒や保護者の感想などが数多く掲載されており、今後の奨学事業へのご支援ご協力への一助となるものと存じます。
この文集の作成を通して、本事業の開始時に伊神勝彦瑞陵高校前校長と中神靖委員長のご尽力があったこと、その後の事業の継続では、中神委員長に加えて、第一回事業から旅行の詳細な計画を立案し、旅行社と打ち合わせを重ねられた村松憲一瑞陵高校元教諭のご苦労が大きかったことを、改めて痛感したものであります。また、髙木修瑞陵会会長や鳥居大五中-瑞陵百周年事業委員長など、奨学事業委員会の委員・顧問の諸氏のご支援の大きさとともに、瑞陵高校同窓会の懐の深さを実感するとともに、海外派遣などの事業に関わった生徒・保護者・職員の皆さんからもご支援・ご協力をいただいて本事業が成り立っていることを強く感じた次第であります。
中神委員長は、この事業をできるだけ長く継続させることに心血を注がれていらっしゃいましたが、廣瀬先生の遺された遺産も無限ではなく、学校側の強い要請もあって、本年冬のニュージーランド派遣事業で終了する見通しとなりました。事業そのものはなくなっても、廉瀬先生やそのご遺志としての本事業は語り継がれていってほしいと存じます。また、いつの日にか、第二第三の 「廣瀬先生」が現れんことを期待したいものです。
なお、この文集の作成にあたっては、廣瀬先生執筆の『師長ロマン』の時と同様に、手書き原稿の入力や発送作業等には瑞陵高校卒業生の方々に手伝っていただきました。また、多くの方々から賛助金いただき、廣瀬先生の遺産に手をつけずにこの文集を発刊することができました。重ねて御礼申し上げます。
残部が若干ございます。瑞陵会ホームページ記載のメールアドレスまでお問い合わせ下さい。
西郷 孝(瑞陵27回卒)
生徒海外派遣事業一覧
第1回事業 | 平成17年(2005) | 7月 | オーストラリア派遣 |
第3回事業 | 平成18年(2006) | 7月 | リトアニア・ポーランド派遣 |
第4回事業 | 平成18年(2006) | 7月 | アメリカ派遣 |
第6回事業 | 平成18年(2006) | 12月 | ドイツ派遣 |
第7回事業 | 平成19年(2007) | 7月 | リトアニア・ポーランド派遣 |
第8回事業 | 平成19年(2007) | 7月 | イギリス(スコットランド)派遣 |
第10回事業 | 平成19年(2007) | 12月 | ドイツ・チェコ派遣 |
第11回事業 | 平成20年(2008) | 7月 | ハワイ派遣 |
第13回事業 | 平成20年(2008) | 12月 | マレーシア・シンガポール派遣 |
第14回事業 | 平成21年(2009) | 7月 | アメリカ西海岸派遣 |
第16回事業 | 平成21年(2009) | 12月 | ベトナム・カンボジア派遣 |
第17回事業 | 平成22年(2010) | 7月 | フランス派遣 |
第18回事業 | 平成22年(2010) | 12月 | ニュージーランド派遣 |
研究助成事業一覧
廣瀬清市瑞陵高校奨学事業は、生徒海外派遣だけでなく、生徒の研究に対する助成を行ってきました。
研究助成A : 生徒個人の研究を助成します。
研究助成B : 大学や研究所が主催する講座などの参加費・旅費等を助成します。
研究助成C : 瑞陵高校教員の企画した生徒向け講座を助成します。
※第2回事業では「愛・地球博」入場券の配布を行いま
第2回事業 | 平成17年(2005) | 研究助成A・B・C |
第5回事業 | 平成18年(2006) | 研究助成A・B・C |
第9回事業 | 平成19年(2007) | 研究助成A・B・C |
第12回事業 | 平成20年(2008) | 研究助成A・B・C |
第15回事業 | 平成21年(2009) | 研究助成A・B・C |
廣瀬清市瑞陵高校奨学事業委員会の構成(25名)
委員長 | 中神 靖 | (前瑞陵会会長・元(株)中京テレビスポーツ社長) |
委 員 | 高木 修 | (瑞陵会会長・高木修法律事務所) |
〃 | 山口 春久 | (瑞陵高校校長) |
〃 | 三品 雅弘 | (瑞陵高校全日制PTA会長) |
〃 | 寺中 佳与子 | (瑞陵高校定時制PTA会長) |
〃 | 日比野 憲一 | (瑞陵高校全日制教頭) |
〃 | 牛田 守 | (瑞陵高校全日制教頭) |
〃 | 平井 博司 | (瑞陵高校定時制教頭) |
〃 | 村瀬 豊 | (名古屋学院大学教授) |
〃 | 斎藤 二郎 | (日進省力機工業株式会社社長) |
〃 | 前田 壽 | (前田会計事務所) |
〃 | 濱島 誠一朗 | (はまじま歯科医院) |
〃 | 神谷 貴 | (瑞陵高校旧職員) |
〃 | 村松 憲一 | (瑞陵高校旧職員) |
〃 | 長谷部美智子 | (瑞陵高校旧職員) |
〃 | 西郷 孝 | (瑞陵高校旧職員) |
〃 | 鈴木 英利 | (瑞陵高校職員) |
顧 問 | 青木 一 | (元名古屋市教育委員会委員長) |
〃 | 伊神 勝彦 | (元瑞陵高校校長) |
〃 | 後藤 好弘 | (名古屋税理士会顧問) |
〃 | 寺田 志郎 | (愛知県立明和高等学校前校長) |
〃 | 鳥居 大 | (元名古屋市教育委員会教育長・元名古屋市教育委員会委員長・元愛知淑徳短期大学学長) |
〃 | 中村 利雄 | (日本商工会議所専務理事) |
〃 | 浜田 堯 | (名古屋雁道郵便局長・名古屋市南部地区特定郵便局長会会長) |
〃 | 福間 克彦 | (元愛知県企業庁長) |